私は、悩みはありますかと聞かれると、そういえばないなぁと思います。
例えば、よく金欠気味になる事は、安月給の職場を”自分で”選んでそこで働いているから。(嫌なら職場を変えればいい)
法律の勉強が苦手(司法浪人をしています)なのだって、勉強量が足りない(それなら増やせばいい)のです。
要領が悪い(改善する努力を満足いくまですればいい)等、結局は自分が悪いだけで、自分次第で全部なんとかなることだと考えています。
人間の悩みとは
人間のほとんどの悩みは、自分で解決できると思います。
おそらく人間の悩みの大半は人間関係の悩みでしょうが、それだって全て自分次第で悩みを解消する事ができると思います。
究極的に悩みというものは、病気など身体に関する事です。
しかし、人間はうまくいかない結果や悩みを自分の中に求めることなく悩み、何か別のもののせいにしたがります。
例を何点か上げたいと思います。
1.スポーツ選手
スポーツ選手が、ケガや天候を理由に力を出し切れなかった等と言い、そう囃し立てて本当はこんなもんじゃないのだという事を示唆するマスコミにも見て取れます。
でも、負けは負けであるのだから自分のせいになります。
2.私の友人
子供の頃、隣の家に住んでいた5歳上の友人がいます。
とても友達思いで誠実で、優しい女性ですが、もう2年以上も同じ悩みを私に愚痴ります。
毎回考えて答えを返すのですが、「でも~」等と言って結局は聞かないのです。
彼女は37歳独身で、結婚したい結婚したいと嘆くわりに100パーセントの力を出そうとしません。
自分から行動しようとせず、まさに「白馬の王子を待つ」だけの状態です。
男性には様々な条件をつけたがり、自分は何も努力をしようとせず、恋愛がうまくいかないと相手のせい、環境のせい、運が悪いせい、出会いが少ないせい、といつも原因を自分の中には見出しません。
本気で相手を見つけようと思えば1か月もあれば結婚相手の候補くらいは見つける事ができるはずなのに、休日は女友達と集まっている始末です。
そういう人は、実は結婚したくないのではないかと思います。
願いとは
結婚に限らず、強く願いその目的に伴う行動・努力をすれば、病気以外の物事はほぼ全て叶うと私は思っています。
100%の力を出したのにダメだった、そういう時は運もあるでしょうが、そういうものは縁がなかったのだと思うようにしています。
別の道にそれ以上に素晴らしいものが待っているはずだ、世の中のほとんどのことは自分次第で変える事ができます。
もし悩みがあるとすれば
厳しいかもしれませんが、何かとニュースで話題になる過労自殺なども、結局は自分の選択でその職場にとどまっていた自分の責任だと思っています。
苦しいな、やばいな、という前兆が見えた時には、過去にしがみつかずにもう現在と未来だけを我慢せず変えればいいのだと思います。
人生は必ずなんとかなるようにできていると思います。
そんなに社会は敵じゃないし、自分次第で全員味方にすることだってできるはずです。
社会が敵だと思っている人は、それは自分が敵にしてしまっているだけなのだと思います。
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