医者から車椅子生活と言われて

スポンサードリンク

私の人生のエピソードは大学2年生の10月に父が脳出血で倒れ、その介護をしたことです。

私の家族はもともと父と兄の三人家族だったので、父が倒れたことは非常に大変なことでした。

兄はもう社会人で、一人暮らしをしていました。

そのため、家のことはすべて自分でやりました。

父の入院している病院に毎日通いながら、掃除、洗濯、食事、犬の散歩をしていました。

また、大学に行きながら、アルバイトもしていたのでとても大変な毎日でした。

 

 

父は脳出血の後遺症で、左半身麻痺になってしまい、医者からは今後は車椅子生活だろうといわれていました。

よくて歩行器を使って歩く程度にしか回復しないと言われていました。

私の父は山登りが趣味だったので、歩けなくなるということは人生の生きがいを失ったこと同じでした。

私は父にはいままでたくさんの迷惑をかけてきたので、このようなことになって、本気で恩返しをしようと思いました。

家のことや、私のことなどは気にすることなく、とにかく父には、リハビリをがんばってもらい、少しでも良くなるように努力してもらいました。

 

 

しかし、脳の病気はとても難しく、頭では理解していても、体がついてこないというものでした。

毎日毎日、同じことの繰り返しで、いくらやっても意味がないのではないか。などと思い、あきらめそうになる時もありました。

日本のリハビリ病院は入院していられる期間が決まっていて、その期間が過ぎると強制的に退院しなければなりませんでした。

なので、もっとリハビリをしたくても、できない状況になりました。

 

 

しかし、私と父はあきらめることなく、退院してから毎日、ストレッチとマッサージをして歩く練習をしました。

そして半年以上たち、最近ようやく父が一人で杖などを使わずに歩くことができるようになりました。

歩けたときは、とてもうれしく、あきらめないでよかったと心の底から思いました。

今では、一人で犬の散歩をできるほどまで回復しました。

 

 

私はこのような経験から、目標を持ってそれに向かって努力し続ける大切さを学びました。

今でも、ストレッチとマッサージは毎日続けていますが、脳出血は再発のリスクが高い病気なので、父になるべくストレスを感じないような生活を心がけています。

また、このような経験をしたことによって、健康についての意識が高まり、ほかの病気なども気を付けるようになりました。

 

 

半年後には、神奈川県の八ヶ岳という山に一緒に登りに行く約束をしました。

一生車椅子と言われていた1年前には、想像もできなかったことなのでとてもうれしいことでした。

本当にあきらめなくてよかったと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。