私が気付いたありのままの自分でいる事の大切さ

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私は生まれつき髪の毛が薄く、体はどんなに大人になっても頭髪は赤ちゃんのままでした。

でも不思議とそのことを悲しく思うことはなく、社会人になってもウィッグや帽子に頼ることなく『ありのまま』の自分の姿で生活して来ました。

それが私にとっては当たり前だと思っていたからです。

でも時には周囲の人々に興味の目で見られ、純真無垢な子供達からは『うわ!あの人変!』などと言われる事も勿論ありました。

それでも私がびくともしなかったのは、私を私と認めてくれる友達・家族・恋人の存在が常にあったからです。

学生生活でいじめに遭うようなこともなく、むしろ学校が大好きだった私は恋愛もしっかり謳歌しました。思わぬ異性から告白を受けることもありました。

そして就職活動も見た目が邪魔するようなことはなく、接客業の会社からの内定をいくつかもらいました。

そうやって生きていく中で自分なりの価値観が構築されて、私を見た目で判断するような人は、私にとって不必要な人だと思うようにしていました。

私を私と認めて声を掛けてくれる人は私にとって大切にするべき人と思うようになりました。

周りの人に感謝

そして私を私と認めてくれている人達への感謝の気持ちが尽きません。

その中でも1番感謝しているのは私の両親です。

きっと私に対して責任を感じた部分もあったでしょう。

しかし、それでも自分達の娘なのだと堂々と愛し育ててくれたお陰で今の私があることに間違いありません。

両親に早くから帽子やウィッグを与えられていたら、きっとありのままでは生きられない自分になっていたはずです。

このままでいいのだ、という自信を与えてくれたお陰で、一時でも『なんで私はこんななんだろう』とくよくよ悩んだことはありません。

これからは自分の子供へ愛情を

現在私には2歳の娘がいます。

もしかしたら私のせいでこの子が将来悲しい思い、悔しい思いをすることもあるかもしれません。

自分の人生だけならうまくやってこられた自信があるのですが、彼女の人生のことを考えると多少の不安はあります。

でも彼女にも、私の娘に生まれた理由がちゃんとあるはず。

こんな母を見て育ったから心の優しい女の子になるように、こんな母を見て育ったから、偏見のない人に育ちますようにと、今はそれが私の願いです。

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